非実在の王国で

山より軽く羽根より重い

アイリもベンツ乗ってたね

えろ絵を時々おんjとかに貼りにいっているという話を友達にしたら、「女体?」と訊かれたので「当たり前だろ」と返すと、「われわれの業界ではエロは女体とは限らない」というので、そらそうかもわからんがおんjなんかにそんなもん貼ったら叩かれるどころの話じゃ済まんぞと思い、つくづく文化には隔たりがあるということを感じる次第。
蛇足、最近はおんjにえろ絵貼りに行ってるとか大きい声で言わないほうがいいような気がしている。


なんか漫画が捗る。
つい昨日12ページ描き終わって、Twitterに投稿してやれやれ、と思ってひと息ついたけども、なんか小ネタを2ページ描きたいなと思ってカリカリやって、結局3ページさっき描き終わった。
3ページ漫画の中で、実在の商品のパッケージを模写したコマがあるのだけど、私はアニメなり漫画なりの中に、実在の商品諸々が組み込まれているのが好きだ。
というとそれは宣伝のためなんじゃないの?と言われたりもするが、違う、とあえて言い張りたい。(いや、そうであることも多々あるのだろうけども)

ファーストルパンが製作されるとなった時、大塚康生は「車という名前の車は無いし、時計という名前の時計もない。」といい、作中のそれらの小道具は実在のものを拝借して描かれたそうで、後にルパンがフィアットに乗っているのも多分そういうところから来ているのでしょうね、と思う。

そういえばフリクリにもそういう要素がある。ベスパやマミミのカメラが実在してるのはもちろんだけど、会話の中でデラべっぴんなどの単語が出てきたり、ナオ太の飲んでるジュースがフジヤのレモンスカッシュだったり、ニナモリが飲んでるのが大塚製薬のとんがらCだったり、多分キャラ付けもあるんだろうけど細かく仕込まれている。

酸っぱいのが嫌いと言いつつ大人のふりをしようとするナオ太が、マミ美に差し出されて飲もうとしたそのジュースの味を知ってると、もう一つ作品世界に没入するファクターになる。と思う。
あと実在のものを作品に取り入ることで、キャラ立ちってしやすくなることも、あるよな多分。オカリンのドクぺとかな。ああいうの好きなんやーて。

画面の中で、あるいは紙の中で、時間の間延びした居間に置いてあるお菓子がチョコリエールだったり、夏に個包装を開けたら中ですっかりぐにゃぐにゃになってるのがロッテのチョコパイだったりした時、記憶の中のテクスチャが想起され、シーンへの理解度が深まる感じが好きなんだろうか。
ただ、よくできたミニチュアを楽しむように、作品世界という異世界に、自分の知ってるものが配置されてるのが嬉しいという側面もありそう。


関係あるようなないような、しばらく前にアニメの世界の解像度みたいな話をしたんだけど、Re:CREATORSてアニメがありましたね。
あれはデザイナーが多数関わってたのか、架空のイラストSNSとか動画サイトとか、ありとあらゆるディティールに「アニメだから」で済まさない情報量を叩き込んでいたのが痛快だった。
具体的にあそこが!ここが!みたいな事が言えそうだし言いたいんだけど、何分見たのがかなり昔なので忘れているのでできない。
アマプラにあったら見直そう。


書いてて思ったのだけど、私は、四角形にポテトと描いただけのポテトチップを味気ないと感じすぎる体質なのかもしれない。
わかるはわかるよ、認識はできるよ。でもさあ…。
いや、常にそうだと情報がうるさいとか、そもそも作品にそぐわないという場合もあるっていうのはわかってはいるよ。
でもいろんなものがうまく噛み合って、光る瞬間は確かにあるので、私はそういう瞬間が好きなんだと思ってください。
好きなんや。
ウッス