非実在の王国で

山より軽く羽根より重い

日記なのかフィクションなのか

電車で隣に香水をつけている女子大生が立ったので、私は声に出せない代わりに「くっっっせえええ!!」と心の中で繰り返し叫んでいた。
私は嗅覚過敏の民であるので、香水というものは押し並べて臭く感じてしまう。ドルガバの香水だろうがバラの香水であろうがそれは変わらない。
知らず知らず垂れてくる鼻水をティッシュで抑えながら、だから電車には乗りたくないんだよな、と思った。

乗りたくない電車に乗ってどこへ行くのかというと、つまらない事に病院である。
二週間に一度、報告と薬をもらうため、部屋から3駅のクリニックまで行く。
私の頭は中学生の頃にぶっ壊れて以来、定期的なメンテナンスを必要としているのである。

電車を降り、病院に向かう。病院は徒歩5分なので微妙に遠い。
通りがかったすき家の垂れ幕に、ねぎ塩レモン牛丼弁当の文字を見つけて心の中で涎を垂らす。
そういや昼ご飯を、食べずに来てしまった。

白い真四角な、角砂糖のような建物が目指す病院である。
待合室には人が誰もおらず、これなら予約時間を繰り下げて見てもらえるかもな、と診察券を軽やかに出して椅子へ座る。
まあすぐ呼ばれるだろうけど、と、鞄からロジックツリーという漫画本を取り出して読みだす。

しかし待てど暮らせど呼ばれない。あれおっかしいなと時計を見ると予約の時間も過ぎている。
えー?と思いながらもう一度ロジックツリーを初めから読む。
半ばまで読んだところで、診察室のドアが開き、親子連れと思しき患者が出てくるのだった。
おったんかい!!!!!!!!!!とやはり心の中で叫ぶ。心が狭いとは思うが、40分くらい待たされてもいるので仕方ないと思う。
それから名前はすぐに呼ばれた。

「具合はどうですか」
眼鏡をかけた医師が表情を変えずに言う。
ぱっと見かなり愛想が悪いが、ここに通いはじめて5年にはなるので、もう気にならなくなっている。
「なんか、何もない感じがしますね」
私が言うと、医師は眼鏡を直した。
「憂鬱な気分であるとか?」
「いえ」
「食欲や睡眠は?」
「よく食べますし、よく眠れます」
「意欲や興味は」
「ない気がしますね…最近まで漫画を描いていたのですが、ぱたっと手が止まってしまいました。」
ふんふんふんと医師は納得したようにひとりで頷いた。
「何かうまくできないことはないですか?」
「…そういや頭が鈍くて、どの雑巾でどこを拭けばいいのか一瞬わからなくて困りますね。」
「わかりました、鬱状態になってますね。」
鬱状態か〜〜〜〜〜、とぐったりする。では次も二週間後の水曜日でよろしいですか、と医師が言う。
大丈夫です、ありがとうございますと言って立ち上がろうとしたら医師が徐に「どんな漫画描いてるんですか?」と訊いてきた。
私は虚を付かれて、たどたどしく「なんか…よくわからない…テンションの低いモヤっとした…」と、自己紹介のような言葉を捻り出した。

病院を出て、相変わらずお腹が減っていたので、さっきのすき家まで行こうかと思ったが、そこまで我慢できなかったので、ちょうど駅と病院の真ん中ほどにあるコメダ珈琲に行く事にした。
とりあえずハンバーガーを食べようと、それとミルクコーヒーを頼んで、頭をオフにする。
頭をオフにしてしまうと、周りの流れが異様に早くなるので、すぐにハンバーガーがくる。
コメダハンバーガーは視覚的な衝撃があり、これ食べられるのかな、と一瞬怯むが、サトゥルヌすように喰らって仕舞えばすぐに食べ終わる。
ミルクコーヒーは甘くすれば甘いほど美味い。

そういや京都芸術センターの前田珈琲の前田のアイミ、おいしかったなー。あれとカレーと一緒に食べたい。
カレー食べたいな。少し前までは毎日食べてたのに。
また図書館に行かなければ。近所の図書館はキーマカレービーフカレーかバターチキンカレーかのどれかから選べるのだ。
無駄にメニューが豊富なのだ。

そうして思考をスライド、スライドしていくうちに駅へ行き着く。
一仕事終えた帰りの電車は心静かに過ごせる。
しばらくぼんやり揺られていたが、ある瞬間ハッとした。
調剤薬局行ってない。
「アーーーーーーーーーー」
今日何度目の心の叫びだろうか。
叫んでも仕方がない、次の駅で降りて逆方向の電車を待つ。
用事が終わらない。辛すぎる。徒労感に苛まれていると電車がくる。
ドアが開くと果たして、香水がいるのであった。