非実在の王国で

山より軽く羽根より重い

ンンンンン!

BOSSのフルーツティーの新しいのがとてもうまい。
こういうとBOSS的には不本意だと思うけど、ものすごい美味しいチューペットみたいな味がする。そしてこの言い方はチューペットに失礼ですね。
みんな飲んでみたらいいと思う。
フルーティすぎてお茶って感じしないけど。

BOSSはミルクティーも美味しいので、フルーツティーと、一つ前の季節のフルーティと3本ずつ備蓄している。
これが悩みどころなのだけど、どれか一本飲むと3.3.2という配分になってしまう。残り二種類も一本ずつ飲んで2.2.2にすればいいんだけど、気分じゃなかったりしてしばらく飲まない時間が空く。
そうすると均衡が崩れたままになるので、気持ち悪くて一本買い足して3.3.3にする。
そうして一本飲むたび次を買い足すので、いつまでも冷蔵庫にスペースが空かない。
だいたい買い足し分のあと二本の意味がない。
だから一本ずつ買って、常になくなるように取り計らえばいいのだけど、最低一本は備蓄がいるような気がして買ってしまう。
どうしたらいいんだろうか。


ディスクユニオンの査定が出た。よんまんごせんえん。
やっぱり予想より高い。
ディスクユニオンが偉いのか、後々高くなるもの買ってた私が偉いのか、それともその両方か。
なんとなくうきうきしたので、ヨドバシカメラのイヤホン売り場を冷やかしに行く。
ここのところはすっかり耳も悪くなり、サカナクションみたいな聴こえて然りやろみたいな音楽でも聴いていてベースがうまく聴き取れないのでいよいよだなと思うし、そんな状態の耳でイヤホンを選ぶのも馬鹿らしくはあるのだけど、まあ娯楽だからとぶらぶらしに行く。
大体みんなすることだと思うんだけど、手持ちのプレーヤーとイヤホンと、試聴用のイヤホンと聴き比べると思うんだけど、とんでもない事実が判明する。やだ、私のイヤホン、音質悪すぎ…?
なんか全体的にボケてる。ベース溶けてる。これじゃ聴き取れへんはずやで。
いや今試したこれが低音強調するやつやったんかもしれん。モニター用に近い音のやつはどれですか!これですか!ありがとう!ベース聴こえる!!!
いや、今付けてるこれかて買った時七千やったし悪いやつちゃう買ったで?ええ音やなて思って買ったわけやし。イヤホンて経年で音質劣化すんの?
それか買う基準にした時の曲がギターのインストで、今試してるのがバンドやから?そういうのって響く?
はえー不思議!ともあれ私の耳が悪くなってたんと違ってよかった。長年の誤解やったわ。
しかしこうなってくると、イヤホン買い換えたくなるわね。
聴こえなかったものが聴こえないままならどうということもないが、聴こえて仕舞えば聴こえなかった過去に戻れはしない。このモニター用のやついくら?いちまんにせん?ンンンンン!
ポンと買うには高い。でもこれ以上にしっくりくるやつ他にない。思い出して、ディスクユニオンは私のCDをよんまんごせんで買ってくれたじゃない。いちまんにせんなにするものぞ。
いやでもイヤホンぞ?ヘッドホンならいざ知らず、イヤホンてあんたウォーキング行く時か電車乗る時しか使わへんやん。そんなシーンに音質って必要?ボケててもかまへん。カマゲン。
とりあえず主旋律聴こえてたらええがな。

それはそう。ほんまそう。
でもなあ、聴こえるやん。ヨドバシのざわざわした中でも小さい低い音聴こえてるやん…。
これ、これ…これくださ…

しかしいちまんにせんえんだ!!!!!
危なかった。あやうく三途の川を渡るところや。
いちまんにせんあったら何日ご飯を食べられる。
よく耐えた。痛みに耐えてよく頑張った。感動した。

そういうわけで今京都駅地下のこぼんちゃんでフルーツパフェ食べとる。
こころ安らかに。うそ。めっちゃ動揺してる。
どうしようやっぱり戻って買う?
ああ音がボケてると気づかなければ、お前を使い続けられたのにね。
どうなるんだろう。どうするんだろう。私は。
To be continue...

やなノリ!やなオタクのノリ!きらい!

なんとなくYOASOBIを聴き始め、そして聴き続けている。
聴けば聴くほど、このボーカルのひとほんとボーカロイドだなと思う。
このあえて滑らかに歌わない感じは、この階段ぽい歌いまわしは、この浮遊感は、とか思い当たる瞬間がかなりある。
YOASOBIてなんかシングル英語版も出してるみたいで、ボカロっぷりは英語でも変わらなかったのですごいなと思った。

今時の人には多いのかな、こう、すごいことをしてるのにすごくないように見せると言うか、大変なことをしてるのに大変じゃないふうに見せると言うか、泣いてるのに泣いてないように見せるというか、努めてさりげないふうに歌う感じは。

はじめの方は初音ミクて人のようにあれかしと歌わされていたと思うんだけど、それがボカロのための音楽というのにシフトして、それを人間が歌う時、機械のようにあれかしと歌うのなんか落語みたいというか、落とし話みたいですね。
ディストピアSFぽくていいと思います。

どうでもいいけど、今も昔もボカロを調教するって言い方、ぼかあ嫌いだな。
初音ミクさんみたいなかわいい女の子がパッケージじゃなくても、調教っていったかねあんたたち。
やなノリ!やなオタクのノリ!きらい!
あれが一般的な言葉として定着したのはもっといや!


私はボカロ文化にはとんと疎く、特別に好きなPがいたとかではなく、ただ手描きアニメを見るのが好きだったので、自ジャンルのキャラクターを使った良きアニメをさがしがてら、耳に入ってきた曲をチョロチョロ聴く程度だったのだけど、手描きアニメと相まってローリンガールって曲は好きだったな。
小さいミクさんが坂道転げていくアニメの。
あれのダンガンロンパパロのが大好きでしたね。
(元ネタのストーリーのないアニメを、回転するキャラクターを変化させることでストーリーのダイジェストにするやつ考えたの誰なんですかね。天才かな。)

なんか私の聴いてたボカロ曲息が詰まって涙も出ないみたいな、切羽詰まってるやつ多いな。
でもそういうのは二次創作と相性いいんや。
ローリンガール作った人のほかの曲も大概切羽詰まってた気がする。裏表ラバーズとか。
裏表ラバーズはあんまり人間の女に歌わせる気がない曲でいいですね。

ボカロ曲を歌うのって、技術的なことは置いといて、声と歌い方でリスナーが納得できるキャラを立たせないと聴く人がやっぱボカロが歌った方がいい!ってなりそうで大変だな。
私もローリンガールとかワールズエンド・ダンスホールとか感情をガンガン込めて歌ったやつとか聞かされたりすんの絶対キツいと思うもんな。

私がまともに知ってたPて、この人とハチとダブルラリアットの人くらいやけど、ハチはともかくwowakaさんは最近何をされているんやろ、と思って調べていたら、悲しいことに亡くなっておられた。
享年31歳。頼むから若い人は死なないでほしい。

なんかこういう時、今まで思い出しもしなかった私が、簡単にいい音楽をありがとう、ご冥福を、とかいうのは間違いまくってるだろと思うのだけど、それは間違ってるとしてどうするのが正解なんだろうかと思う。
何も言わずにこんなエントリーも書かずにおくのが正解か?

とりあえずニコニコでダンガンロンパローリンガール見て寝ます。
私ダンロンで誰が好きかわかる?葉隠くんやで。

最高of最高やんけ!

お元気ですか?

昨日描いたえろ絵について、数人が見た気配があったので速やかに消したんだけど、どうしても人が見たらどう思うのかが知りたくてふたばからVIPのお絵描きスレと吟味し、ピリピリしてはいるけど荒れてはいないおんjのお絵描きスレに貼ることにした。
貼ってレスが付くかな〜、とひとまずシャワーを挟むことにした。シャワー中に、そういえばあのあたりの人たちは異様に女に当たりがきついことを思い出した。
絵から性別を判断されてぶっ叩かれてるかもしれないな…という可能性が頭をよぎり、髪を拭く段になってはもう、大荒れの掲示板を見た後くらいにテンションが落ちていた。
しかしもう、貼ってしまったものは仕方がないと、スレを更新する。荒れてなかった。

レスはふたつついていて、一つが「こういうのすごくすき シンプルだけどそこがいい」というもので、割合普通にしていてももらう感想でやはり私はそうか、ありがたいねなどと思う。
もうひとつが、そう、もうひとつが。
「最高of最高やんけ!早く完成をみせてくれ!待ちきれないよ!!」
というもので、見た瞬間爆笑してしまった。
まさかこういう反応をもらうとは思っていなかったので、嬉しかった。
もうこれはこれで完成なので、あなたの望むものは見せてあげられないけど、ありがとう。最高of最高ですか。それは実用に耐えそうということでしょうか。ありがたいことです。その即物的さ、素晴らしいと思います。二度目になりますがありがとう。

そうだエロ絵ってこういう喜びがあるんだわ。
「妙に罪悪感を煽る」という感想が嬉しくていつまでも覚えているのだって、その人にどういう刺さり方をしたかが明白だったからだし。
私のは絵が絵だから打率は低いけど、劣情にぶっ刺さるのって、独特のしてやったり感があるんだよな。忘れてた。

これはちょっと再開するべき趣味かもしれん。
細々やっていきたい。
みなさまおんjのお絵描きスレでお会いしましょう。
いや多分会えないけど。


私には描いても人にあんま見せられない絵がもう一つあって、それはまんがタイムきらら系の絵なんだけど、あれは死ぬほどむつかしいものですね。
きらら系って言っても、ハトポポコとかカヅホみたいな感じであれば死ぬほどめちゃくちゃ頑張れば、もしかしたらそれらしいのが描けるようになるかも…と思えるんだけど、私がなりたいのは蒼樹うめとか、もしくはは得能正太郎、あるいはあるいは、黒田bbみたいな感じ。
なんかこう、ホワホワしてるかシュッとしてるかは置いといて、ギャワイイ!と叫びたくなるような女の子が描きたい。描けへんけど。

大体ああいう絵柄の顔はともかく(それも描けないけど)、あのプロポーションが描けない。ほっそりしてて、でも太ももあたりがいい感じのやつ。
ああいうの描ける人いいなあ。
私も描きたい。そして動画工房でアニメ化されたい。流石にそれは嘘。

きらら言うたらmonoとかゆるキャンの表紙が好きすぎるので、あfろの画集など出ないものかと思っておる次第であります。

それではまた。一休。

「妙に罪悪感を煽る」

マイクチェックワンツワンツー

昨日テーピングを外して、絵を一枚描いてみた。
ペンを持つ形であれば指は傷まないので、こりゃ描けるんじゃね?と思って描いたが、やはり動かしていると引き攣れる痛みがあったので一枚ギリギリ出来ただけだった。それでも満足感がある。
2枚目に行きたいなーと思ったけど、流石にこの状態で手を酷使するようなことをしたら怖いなと思い断念。


エロ絵が描きたいという衝動がきている。
この衝動は大体5年に一度の感覚で来ていて、今アイデアがぽつぽつ出てきている。
大したものが描けるわけではないのだけど、やってると謎の充足感がある。
しかし私は滋賀県シャイネスアンティであるので、エロ絵を描いたところで恥ずかしくて公開できない。
学生時代は匿名でその衝動をぶつけるのに、当時は2ちゃんねるのVIPのお絵かきスレにぶち貼って心を沈めたものである。
VIPが隆盛を極めていたあの時期において、そのお絵描きスレは信じられないほど人がいなく、過疎ってるので荒れることもなく平和でちょうど良かったのだ。
そんで一言二言、感想のレスが付いてニヤニヤするというのが常であった。
そのうちで、一番嬉しかったコメントがあって、それは「妙に罪悪感を煽る」というもので、時々取り出してはそうか…と噛み締めるのだ。

しかし思い出すのは、有象無象のお絵かきストがぽつぽつ現れていたあのスレで、神か?と思うほど絵の上手い人がいたことだ。
なんかそういう人は、このスレに限らずあらゆるお絵描き、落書きスレや2ちゃんを飛び出したさまざまなお絵描き掲示板に現れていた。
なんとなくアニメーターぽい絵柄のその人たちは、有象無象のお絵かきストを蹴散らして、我々の羨望の眼差しを集めていたのであった。
私もあれになりたかったな、そういえば。
いや、羨望の眼差しを浴びたいのではなく、アニメーターぽい絵柄。いいものだあれは。


しかしそんな版画を刷りたいだの、漫画の続きやらなきゃとかエロ絵描きたいだの訳のわからん衝動が渋滞を起こしてる時に指を壊すかな。
私は大概間が悪いのだ。


昨日からなんとなくYOASOBIを聴いている。
これまで熱心に、というかほとんど初めて聴いたんだけど、思った以上にボカロであった。
米津玄師は自分の歌を歌わせるツールとしてボカロを選んだ感があるけど、YOASOBIの人はボカロで音楽を作るのを目的としたみたいな印象があるな。知らんけどな。
なんとなく新房昭之アニメの主題歌に選ばれそうな感じがある。

歌い手とかボカロPとかがあくまでアマチュアと言われていた時代は終わったんすね。
そういえばうっせえわなんですが、あれが流行ってすぐラーメンのCMソングに、歌詞を改変した形で採用されたのをみて、あれは反骨の敗北であるなあ、時代だなあと思っていたのだけど、ある瞬間あれは「反骨」をテーマにした、イミテーションのポップスだと気付いてなるほどなあと思ったのだった。敗北も何もなかったんすね。


なんか今日はインターネットじみた話やね。
多分第二世代くらいなのでさもあらん。

想像の上誰も立てぬ場所

昨日書いた文章を読んだ人が、「お父さんのこと好きで褒められたかったんやねえ」みたいな感想をくれたのだけど、それは違うと言っておきたい。
確かに父は私を美術とサブカルチャー(特に音楽)の道に引き摺り込み、いいか悪いかは知らないが、私の人格形成に大きな影響を及ぼしていたのは確かだ。
それについては感謝しているが、前述の通り、仕事がないのに働かなかったし、家庭を困窮に追い込んだ。気性が荒く、酒癖も悪く、何かといえば母を殴り、うつ病に追い込んだのも確かな事実だ。
父は人に良くもしたが、悪くもした。家庭では後者の顔しか見せなかったから、私は父を憎んでいたし、正直な話嫌いだった。
それでも絵を見せたり、デッサンを習ったのは、私が絵が上手くなるのに一番身近で手っ取り早い手段であったからだし、頑として私を褒めない父からなんとか一本取ってやりたかったからだ。
割と打算的で闘争心あふれるお話だったのだ。

今では父への再評価が進み、父としては全く駄目であったが、絵描きとしては尊敬できる存在であったというところに落ち着いた。
人は人の一面だけを見て評価しがちであるが、二面目を見て評価を覆すこともある。
家庭の複雑さに目を覆われていたが、今になって二面目を知り、命日には線香をあげてやらないでもないという心境に落ち着いている。

父の夢を見るときは、大抵悪夢だという事実もあるが。



そろそろ二週間経つが指が治らない。
一週間半くらいで治るんじゃないの〜と思っていたが、調べるところによると、最大で一ヶ月くらい治らないこともあるそう。
そしてテーピングを外してから、指のリハビリをすると。
なに、そんなことまでしなくちゃいけないの?!
もうやだー。ぎりぎりテーピングを緩くして、絵は描けないまでもペンは持てるから塗り絵をしてたりしてたんだけどそれもやめたほうがいいんだろうか。
本のページも捲れないしFGOくらいしかやることないんだけど!そしてFGOでも特にやることないんだけど!積んだ!ひま!!!!

しかし観たり聴いたりすることはできるので、アニメ観たり音楽聴いたりすればいいんだよな。
アニメ以外のテレビはあんま観ない。あんまっていうか、観ない。
これはミサワ的なアレではなく、単に私が偏っているというだけの話だ。
最後に見たのは夜の巷を徘徊する。あの番組、本当に好きだったのに終わってしまって本当に悲しい。
なんで終わったんだろ。コロナ的な何か?許せん。

音楽は最近、無職転生の一期のオープニングの旅人の唄がやっぱりいいな、と思って聴いている。
泣きのメロディみたいな言葉があるけど、それに壮大さというか、なんかそういうものを足して強く情感に訴えようとする曲ってあると思うんだけど、そしてそういう音楽を私は普段どうだかなと思って避けているのだけど、この歌はまさしくそういう曲だ。
けどもどうしてこの旅人の唄は聴いてしまうのかというと、ひとえにこれがアニソンだからだろう。
これは悪く言っているのではない。アニメソングというのは、アニメ本編に強くリンクしていればいるほど名曲に聴こえる傾向がある。
総合芸術、というと大袈裟だけど、本編と曲とが引き合っていると感動がいや増す。旅人の歌は、それに成功しているのだろう。

あ、因みに内容に関係なく、アニメ制作者側のオーダーもなく、タイアップという形で採用されたポップスは個人的にはアニソンと呼びません。
るろうに剣心におけるそばかすみたいなやつ。
区別しておきたい。


さて中指でタップするのもしんどくなってきたのでこの辺で。
夕方また病院行こっと。

わたしとおとうさんとえのはなし

ブルーピリオドを見て、色々記憶の扉が開いてしまったので、ボショボショ溢そうかと思う。

私の亡くなった父親は、創作着物の職人で、若い頃は工房で着物を作る勉強をする傍ら、デッサンや油絵、ガッシュなど各種素材を扱う勉強をしていたらしい。
100号のパネルに絵を描き、それをコンテストに出し賞をもらったりもらわなかったりしつつ、次の制作に向かう、という、ある意味美大でやるようなことを、工房持ちで伸び伸び楽しくこなしていたらしい。
そんな訳もあって、私の父は滅法絵がうまかった。

創作着物はバブル期までは景気が良く、作れば売れるような状態だったのだけど、バブルが弾けて、多くのの工房が事業を縮小、そして廃業という道を辿ることとなった。
多くの職人が他に職を求めた、みたいなことがあったのだけど、私の父は職人であり続けた。尊敬はしていない。仕事など一つもないまま、職人であり続け、うちはひどい貧乏になったが、尚も職人であり続けた。
尊敬はしていない。ただ、気持ちはわかる。痛いほど。

で、私である。
父親の職業のこともあり、小さな頃から絵を描くのも見るのも好きで、父に感化される形でお絵かき教室に入って絵を習い始めた。
その頃は父がどうやって絵を描いているのかを観察し、模倣することで子ども離れしている絵を描くと、大きに褒められたものだった。
かつて天才だった私であり、神童だった私である。
しかし、所詮は模倣、二十歳を迎えるどころか小学校一年生の時点でただの人になるのであった。
子供なのでそんなことには気付かず、漫画やアニメの絵に感化されたりしつつ、自分は絵が上手いと思いながら楽しく描いていた。
幼稚園の頃は、描けば両親も周りの大人も褒めてくれたという成功体験も手伝って相当天狗になって描いていたように思う。
しかし、状況は変化していく。

図工の時間に描いたような絵が、一つ一つジャッジされてくるようになった。
色が不味い、観察できていないから形が取れていない。これがまた、自分がよく出来ていないと思っていた箇所を突いてくるからたまらない。
そうした指摘の後に、大体決まって、でもお前は才能があるから続けていけ、と言われるのである。
そうか、と私は気を取り直した。

指摘のみとなり、いまいち誉められなくなったころ、私の一つ上の学級に、とても絵の上手い先輩がいて、他愛無い手紙なんかに絵を描いてくれた。
この人は本当に絵が上手く、今でさえもらった手紙を見返すとほんとに小学六年生が描いたのか?という出来で驚いてしまう。
それを父が見つけた。
本当に小学生が描いたのか?と訊き、そうだというと絶賛した。
まずきちんと形が取れている。線も勢いがあるのに荒れていない。あしらい方が子ども離れしている。
なるほど、こんだけ上手くないと褒められないのだな、と私は納得し、中学に上がりそうなるべえと美術の授業に打ち込んだ。

はじめの方はデッサンや色彩構成みたいななにかなど、楽しくやる気も十分にこなしていたのだけど、そのうち変化が訪れる。なにか、何をしても楽しくないのだ。
なんで楽しくないかというと、一向に上手くならないから。
その時の私は目標の高さに気づいていなかった。
本当に先輩の絵は上手かったのだ。

あまりに上手くいかないので、私どんどん道を逸れ、片手間に描けるような、ちょっと手の込んだ落書きに耽溺するようになった。
そんなんなので、本気の絵みたいなものが完成する割合が減る。減ると今度は、指摘すらされなくなる。
私の感性は多分、幼少期に炸裂しており、その頃は作文にしても瑞々しかった。らしい。
そうであるので、あの頃のお前は良かったね、という思い出話が飛び出すようになる。
なんとなく嫌な気分がするが、まあそうだししかたないか。そう思った。

そうして長らく、片手間の絵に耽溺していた私に、転機みたいなものが訪れる。
高校の一年ごろ、近所のPARCOのクリスマスのメインビジュアルの絵を、100%orangeが担当したのだ。
それまでは漫画やアニメ一辺倒で、イラストレーションにとんと疎かった私は、こういう絵があるんだなあと思い、自分でもやってみようと思ったのだった。
久しく構図をきちんと考え、配色を考え、頭の中のイメージを、紙に丁寧に落とし込むようにした。
楽しく出来たので、こんなのはどうであろうかと父にお伺いをたてにいくと、頑張ったことは褒められたが、やはり線が、色が、デッサンがの話が始まる。
まだ1枚目だししゃあないべ。つぎつぎ。と、数を重ねて描いていったがやはり褒められはしない。ウームまだ出来ていないか。

特にデッサンができていないので、ちょっとの仕事の合間に教えてやるべと、仕事がなく有り余る暇の時間に、デッサンの仕方を教えてもらうという時期があった。
デッサンついて、中学の頃に手を切って以来、一番苦手な形を取ることへの苦手意識をなんとかせんといかんとは思っていたが、デッサン。萎縮してしまうな。と思っていた。
父親は馬鹿でかいスケッチブックに、この画面にバランスよく描けと言い、ヒエーとその画面のでかさに怯みつつ、鉛筆をスケッチブックに当てた。
が、どうしたことか。鉛筆が動かない。
水を怖がる犬か?そう思いながら無理やり手を動かして林檎と布を描いていく。見ているものと手が一致しない。ひいひい言いながらひとまず見てもらうと、「ひどいな」の一言。
もう本当にその通りですねという他なかった。
そのあとも「林檎が浮かんで見えるで」「その目線の高さやったらそんな平坦には見えんやろ」「お前のは絵や、絵は子供でも描けるんや。絵を描くな。デッサンをしろ」というようなこと言われたことを覚えている。
これについては未だにそうですね…という他ない。恨む筋合いもない。
いまだに私はゴミ以下のデッサンかどうか危ういものしか描けない。

お前はほんまに形が取れんなあ、と呆れ気味に父は言った。しかしいつかのように、ただ才能はあるから続けろ、とは言う。
この頃になると私も、自分に才能がないことは理解しており、父がこう言うのは私の中に実際的な才能を見出している訳ではなく、自分の子供であるから、才能はあるはず、という誤った確信からと見抜いていたのでなんだかな、と思った。
私は、自分が絵を描く人間の中では致命的なほど絵が下手だと言う事を身に沁みて知っていた。

下手なりに、でも美大は行きたいねと思っていたが私の実力と、それ以上に貧乏が天元突破して、奨学金を借りる決心がつかなかった由で断念し、翌年父の実家の助けを受ける形で少し特殊な美術学校へ行った。良い学校だったのでそれは良かった。

それでまだ私は自分を下手だと思いながら絵を描くことは続けていて、一時期はこのまま専業イラストレーターになれるのでは?!と思った時期があったけど以下省略。
ブルーピリオドは「したい事を人生の真ん中に持ってくるのは当然」と言ったが、私も真ん中にしたかったなー。形が取るのが苦手!と乗り越える根気がなかったのだから真ん中に据えたかったという資格もないのは分かっているが。

今はまあ、特に褒められも貶されもせず、描きたいものを描きたいように描いているので気楽だが、思い返すにあの果てなき指摘の日々はそれはそれで貴重なものだったと割と思う。
特に今、どうにも「片手間で描けるちょっと手の込んだ楽描き」に耽っているように思うから。
もう一度「この人には言われても仕方ない」言う人に言われてへいへいと絵を見直すことはきっともうない。
指摘は自分でせんといかん。それはまた大変なことやで。

私なら彼女とランチに行くなー

昨日RE-MAINのことを誉めもせずマイナスなことを言いすぎたな、と思うので、きちんとフォローをしておかないとと思って書き始めました。
この作品、すごいちゃんと面白い作品です。スポーツ漫画やアニメのお決まりの展開といえばそれまでなんだけど、とにかく話の持って行き方がきれい。
若干スロースタート気味ではあるんだけど、ある地点を境にめちゃくちゃ面白くなるんですよ。
スポーツものって、大きく分けて自分を通して競技を見つめるものと、競技を通して自分に向き合うものとがあるような気がするんだけど、RE-MAINは後者。
後者の方が人間ドラマになりやすい気がする。
ちなみに前者の代表はテニスの王子様なんじゃないかと思っています。ネタ漫画として扱わず、スポーツ漫画として見た場合よ。

あとサービス精神がすごい。ご都合主義と言うのではなくて。
見たいものをちゃんと見せてくれる。気持ちいい…。
調べると脚本の方、タイバニの人なんだそうでなるほどなあと思う。
特定のキャラに肩入れしなくても、すいすい見れてしまうのはやっぱりストーリーがいいからなんでしょうね。

そういうわけでRE-MAIN、普通に良作でございました。
最終回ちょっと泣いちゃったしな。


テーピングのため、緻密な作業ができないので、過去の絵を塗り直したりして無聊の慰めとしている。
折角なので、普段はしない色使いや、練習中の技術をためしてみようと考えながらやる。
癖というのは恐ろしいもので、いつもと違う色…と思っても、色のチョイスや色の仕方や、纏め方に癖があるので、どうしても自分の外には出られない。
ビビッドな色を使って奔放に塗ってみたいのだけど、私には難しいようだ。

もう一つ、ちゃんと勉強しなきゃなあと思っていたちゃんと個別に色を作ってそれぞれのパーツに合った影をつけるというもの、普段はついつい乗算レイヤーに一色ベタで付けてしまうので、どうせなら版画やアクリルガッシュで描く時必ずしなくてはいけない方法で塗ってみようと思ったので実践する。
基本的には補色を意識して塗ればいいはずなんだけど、わかっているのにどんどん逸れていって、なんじゃこりゃになるのが常だったんだけど今日のはなんかうまくできた。
すごい。進歩している。アニメの画面を凝視していた甲斐があった。
これを発展させていって青だ紫だ黄緑だのとんでもない色で影をつけてみたい。

そう思うと色彩設計を仕事にしている方ってすごい。
それぞれの作品に合った色の調子や全体的な色使いなんかを、作品ごとに作っていくのだから途方もない。
この作品にはこの色でなければ駄目だ、という色を作っている方は本当に尊敬してしまう。グリッドマンのあの色、本当にどうやって作ったんですか?

ああなるにはどうしたらいいんだろうな。
もちろん莫大な勉強をしなければいけないのだろうけど。
美大行くの?美大かー…。

美大といえばブルーピリオド見ました。
面白いけど苦手な作品でした。

何かっていうと、作中で「好きなものなら人生の真ん中に据えるのは当たり前のこと」みたいなセリフが出てくるんだけど、これがもう本当に刺さって、なぜなら私は人生の真ん中に絵を据えたかったけど、怖くて出来ず、また一時期は据えてると勘違いしていたけど、幻が解けて挫折した人間だからです。
だから作中で、そう言われてしまうと、それが出来ない私はまさしく敗者であったとか、怠惰な人間であったとか考えてしまうのである。

然るに視聴は断念することにする。


セッションという映画があって、すごいスパルタでジャスに向き合う話なのだけど、公式サイトで映画評論家はじめ著名人が絶賛のコメントを寄せている中、唯一ジャズ関係者であった綾戸智恵が、「私なら彼女とランチに行くなー」という旨のコメントをしており、「そうなれなかった」私は大いに安心したことを思い出したりするのであった。